夜の帳の中、一人の青年が篝火の側を立った。
「ちょっと涼んでくるよ。」
彼が軽く手を挙げてそういうと、篝火の周りや近くのベンチから声が飛ぶ。
「おう。」
「何だ?飲みすぎたのか?」
「いや、あいつそんな飲んでねーぞ」
「おいおい。我らが宿敵黒騎士団の砦を奪った記念すべき日だぞ、もっといっとけ~!」
「そういう君は飲みすぎよ……からむのはよくないわ」
「無理に飲ませるのもいけませんよ。気にせず、いってらっしゃいな」
騒がしい仲間たちに、青年は苦笑いする。
彼らはルーンミッドガッツでは、名の知れたギルドのメンバーだった。
一般の「ギルド」とは平たくいえば、気の合う冒険者たちが集まって作る共同体のようなものだ。
だが、彼らのギルドは「Gvギルド」と呼ばれる「ギルド」とは似た性格を持ちつつも若干異なるものであった。
一年前。
ルーンミッドガッツ王国国王トリスタン三世は、モンスター駆逐に功ある冒険者たちに対する褒美として、首都プロンテラ、魔法都市ゲフェン、山岳都市フェイヨン、国境都市アルデバラン、これら四都市近郊に点在する砦を下賜する触れを出した。
しかし、全ての冒険者たちにくまなくというわけでは無論ありえない。
冒険者たちをさらに切磋琢磨させるべく、砦を巡るギルド同士の争奪を許可したのである。
すなわち、真に強き冒険者が砦を手にせよ!というわけだ。
以来、「砦の獲得」を目指す冒険者たちが続々と現れ集い、「砦を手にできる強き者たち」を目標とするギルドが各地で形成された。
そうして誕生したギルドを冒険者たちは「対ギルドのためのギルド」すなわち「Gvギルド」と呼んでいるのである。この呼称には、その強さへの畏敬ともに若干の侮蔑もこめられていた。冒険者たちの中には冒険者同士の争いを嫌悪する者たちもおり、強さの驕りの体現だ、強欲な者たちの醜い争いだ、と見て忌避する者もいたからである。
とにもかくにも、彼らのギルドは「Gvギルド」であった。
ギルドの名は「ソードオブムーン」。「月の剣」或いは「月」「SOM」などと呼称されることが多い。ゲフェンを本拠とする彼らは今まで数多くの激戦において勝利してきた強者たちであり、名はルーンミッドガッツ全土に知れ渡っていた。
今日も戦いがあり、「ソードオブムーン」は激戦を制して勝利を収めたのである。相手の「黒騎士団」も強豪として知られるGvギルドであり、過去幾度も戦火を交えた宿敵であった。珍しくもない勝利とはいえ、興奮冷めやらぬのも無理からぬところといえよう。
「ごめんなさい。俺あんまり飲めなくて……ちょっといってきますね。」
青年は軽く頭を下げると、仲間たちに背を向けて歩き出す。
背後に消えていく篝火と喧騒を脳裏において、青年は目線を上げた。
眩くも小さい街頭の光の向こうに、闇に沈む家々の尖った屋根が見えた。その背後にはゲフェンの街の象徴ともいえる塔が、黒々と重く天を貫いている。さらに遠くに見える夜空は、一遍の曇りもなく、冷たく透き通った暗い青。
星の瞬きに遠慮するように塔の影からそっと白い月が覗いていた。
カツン、カツン、と靴が石畳を叩いていく。
光と喧騒が遠く消えて靴音しか聞こえなくなった時、靴音も止まった。
少年はそっと、確かにわずかに肩を落として、かすかにため息をついた。
カツン、カツン――
冷えた石畳に靴音だけがまた響いていく。
青年はベンチに腰を下ろした。
背後には街路樹と植え込み。木々の葉は枯れ、ほとんどが落ちている。四方に置かれたベンチは木に残った葉を守ろうとしているようにも見えた。
青年はマントの前を軽く狭める。
高い襟を持つ肩掛けとの二段構造になっているマントとその下にある法衣は、ゲフェンの魔術師協会が支給しているもので、ウィーザードと呼ばれる高位の魔術師に与えられるものだ。
栗色の柔らかそうな髪の下の白い顔はまだ少年といってもよい幼さを残しており、到底熟練者には見えないものであった。それでも、青年はヴィーザードなのだろう。
彼はぼんやりと、右手に握られた杖を弄んでいた。
特に意識している風でもなく、それは癖なのかもしれない。
杖は人間の髑髏を模したものでその実人間の骨でできており、「骸骨の杖」と称される。
「骸骨の杖」は、死んだ高位魔術師の頭蓋骨と脊椎から彫りだされた魔杖である。
本来は許されぬ外法の産物だ。
しかし、外道に堕ちる魔術師たちは決して少なくない。「イービルドルイド」などと呼ばれるモンスターたちはその成れの果てとされ、この杖はそうした道を外れた者たちが好んで使うものであった。
だが、その外道が魔術師協会や冒険者に滅ぼされると、この杖を残していくことがある。
本来なら外法によって作られたものは速やかに破壊すべきであるはずなのだが、ここに魔術師の合理主義の不思議さ、おかしさとでもいうべきものがあった。
外法によって作られたとはいえ生前の魔力が宿る魔術師の骨を用いたこの杖は、魔術の発動体としては得難い至上のものであり、有用性は文句のつけようがない。むざむざ破壊してしまうにはあまりに惜しいものであった。
「魔術師の尊い犠牲を無駄にするな」とおかしな声も上がり、魔術師協会は一つの結論を出してこの杖の使用を認めたのである。
曰く「作るのは許さぬ。が、作られてしまったものはしょうがない」。
教義を重んじる教会側は無論「死者への冒涜である!」と猛反発し、今も双方の間で争論が続いている。
ところが、教会のプリーストの起こす奇跡の発動体としてもこの杖は優秀であったため、冒険者上がりのプリーストたちの中にもこの杖を用いるものは多かった。
事実上黙認され、元より仲の悪い両組織が形ばかり争っているだけといえよう。
またこの杖は一方で「実力を持つ魔術師」のステータスシンボルの一つでもある。
青年がこの杖を持っているということは、実力は確かだということ。
だが、幼さの残る顔にグロテスクな杖。法衣以上にこれは似合っていなかった。
「人は外見によらない」の生きた見本のようなウィーザードの青年は、見目に合わぬ杖を弄びながら夜の街を眺めている。
青い瞳の先には、ゲフェンの東門がある。夜が深まってなお、活動心旺盛な冒険者たちが門出入りしていく。日中に比べれば疎らとはいえ、その流れが絶えることはない。
青年はただじっとそれを瞳に映していた。
「よっ。何黄昏てるのー?」
青年の肩ががたっと動く。杖は手を離れ、カラカラと軽い音を立てて転がった。彼の周りだけにあった静寂は唐突に破られた。
明るい、鈴が鳴るような女の声。
青年の前にはいつの間にか、女が出現していた。
「あ……クリューウェルさん」
彼の前に立つ女は途端に「むっ」と形のよい眉を寄せた。長く雪のような銀髪が跳ねる。その様は怖いというには迫力が欠けていたが、
「姓で呼ばなくてよろしい!何度言ったかな?」
「う。す、すみません。エマリエルさん」
なぜか肩をすくませ、頭を下げる青年。
彼の前で女はさらに眉を狭めていたが、「ふー」とため息とともに眉根を下げると、白く細い手を口に当てて目を細め、赤い瞳で青年を流し見る。
「エマ……でいいといったわよね?」
囁くようなかすかな声が青年の耳を擽った。
彼は幼さの残る引きつらせ、俯いてたどたどしく答える。
「あ、は、はい……エマさん」
言い切って青年の耳は、夜闇を通してもわかるくらい真っ赤になった。
顔も同様で、彼はそのまま俯いてしまう。
その様をじーっと眺めていた女は「む」とまた眉根を寄せた。
青年は俯いたままで固まり、女も固まっている。
数秒の沈黙。
先に音をあげたのは女――エマの方だった。
「ごめん。からかう気はなかったんだけど、つい……本当にごめん。」
そういって彼女は頭を下げた。
「あ、いえ、頭を上げてください。俺こそ、毎回で……ごめんなさい」
青年は顔を上げて、今度は青くなり慌てた。
女の名は、エマリエル・クリューウェル。彼女は「ソードオブムーン」の最古参の一人だ。
青年からしてみれば、先輩どころではない相手。彼が萎縮するのも無理はない。
「ううん。私も拘って嫌われるのは嫌だから。アーク君の呼びやすい方でいいよ。」
でも、たじろぐヴィーザードの青年――アークにそういって、エマは笑った。
「……!」
アークは途端、目を逸らしていた。
エマの衣装は、大胆と上品を際どいラインでミックスしたものである。
襟の高いマントは肩掛けと二段階になっていた。これとその下の法衣も魔術師協会がウィーザードに支給しているものだが、女性用のそれはアークの着ている男性用とはかなりデザインが異なる。
まずはマントだが、肩掛けの部分もマントにも白い毛皮で縁取りされている。生地も男性用に比べて分厚い豪華なものだ。
それはよいとして問題なのはマントの下の法衣だった。
太股をむき出しにしたローレッグ。その上に纏う法衣は大きく胸元が開いている。
加えて前で合わせる形で、下に至っては生地は長めに取っているものの閉じて合わせるようにはできていない。
つまり露出が多い。いや、過多といってよい衣装なのだ。羞恥心の強い女性にとっては着て歩くだけでも苦痛であろう。魔術を志す女性からは非難の的であったが、魔術師協会は「女性は生命を形作るがゆえに精霊との反発が起きやすい。この魔術服はその緩和と融和のためである」として着用を強制していた。男尊女卑との謗りは当然であろうが協会は絶対である。従わねばならない。
ゆえに多くの女性魔術師は、涙ぐましい工夫をしている。マントの前を常に閉じるといった工夫や、衣服を自前で裁縫して露出を少なくする魔術服の独自改造などだ。
しかし、一方には「これもお洒落の一種」として楽しむ者や、より過激にして色香を振りまく者たちもいる。
女性魔術師の間では3:7くらいで賛否両論といったところだろう。
女性が困るのは当然として、男にとっても「個人の中で」賛否は半々だった。並みの性欲をもつ男性であれば「目のやり場に困る」。女ウィーザードが目の前に立てば、その開いた胸元へはもちろん、水着のようなローレッグだけの下腹部、そこから伸びる太股へはついつい目がいってしまう。見るなといわれても辛いものであろう。
色々な意味で問題のある衣装だった。
ちなみにエマはどちらかといえば賛成側のウィーザードだ。いくらか手直しをしてはいるものの、彼女はこの衣装を楽しんでいる。
だが、季節は冬である。エマは馬鹿では無論ないし、寒さを感じないこともない。
従って唯一の防寒具たるマントは前で閉じられており、目のやり場に困るはずはない。
だから、そう結局は――
アークという青年にとって、エマという女性そのものを直視するのが難しかった。
それだけなのだろう。
エマはそれに気づいているのかいないのか、彼の所作には構わずに口を開いた。
「で……アーク君?こんなところで何してるの?」
首を傾げて、エマは尋ねる。銀の髪がさらりと揺れた。柔らかそうな銀髪の上には「ティアラ」と呼ばれる金の宝冠が映えている。
「いえ、ちょっと涼みに来たんですが。」
少し落ち着いたのか、アークは淀みなく答えたが、
「んー涼むって……この時期だと涼しいを通り越して寒いよ。君は冬は強いの?」
身震いする仕草をしてエマは、当然といえば当然の疑問を返す。
繰り返すが季節は冬だ。
酒で体が火照ったとしても、飲むのを止めて篝火から少し離れれば十分すぎる。
アークは苦笑した。
つまりエマは「それは嘘でしょ?」と訊いている。
「いいえ。ごめんなさい。嘘つきました。ちょっと一人になりたくて。」
「ふむ。正直でよろしい!」
エマはくすくすと笑って、それから少し眉根を寄せた。
「あや……なら、邪魔しちゃった?」
「あ、いえ。そういうつもりはありませんよ。気にしないでください」
アークの言葉は、反射的な社交辞令に近いものだった。
でも、エマは笑みを零して嬉しそうに訊いた。
「んー……なら、邪魔したついでにちょっと付き合ってくれない?」
「え?」
「これから飲みに行くの。でも、一人じゃ寂しいし。君はお酒ダメ?」
「いいえ……少しは飲めますけど」
「じゃ、決まり!」
弾ける笑顔でそういうとエマは銀の髪をふわりと翻して、アークに背を向ける。
彼女は少しそのまま歩いて、振り返って彼を見た。
「ほら。いくよ~」
そして、また背を向けて歩いていってしまう。アークは口を「ど」の形で開いたまま、ただそれを見送っていた。
だが、エマの銀髪を見失う前には彼は何とか気がついた。
ついていくしかない。
選択肢はすでに彼の上を通り過ぎていた。彼は慌てて立ち上がり、今更に足元に転がる杖を拾った。
[小 説/RO小説/moe5]